玄米酵素の分析表
玄米酵素の創り方作り方│製造工程

玄米酵素のルーツ

玄米酵素は日本の酵素食品の草分け

玄米酵素は日本の酵素食品の草分け
(日本で最初の「玄米酵素」の食品です!)

今、健康食品の分野では、プロバイオテクスという言葉が盛んに使われています。体内に取り組むことでよい影響のある微生物(有用微生物)を健康のために利用することで、ヨーグルトや乳酸飲料など、胃液のなかの胃酸などで死滅せず腸まで行って、腸内環境をよくする作用を持つ乳酸菌などが入った発酵食品が、各社から発売されています。
酵素食品も、微生物の代謝や微生物が生成する酵素の作用でできる発酵食品で、栄養価が高く、酵素の働きによって事前に消化が進み、栄養素が小腸で吸収しやすい大きさに分解されています。また、有用微生物や酵素が、腸内細菌の働きを活発にして腸内環境をよくします。今から50年以上も前に開発・販売されてきた玄米酵素は、こうした酵素食品やプロバイオテクス商品の先駆けとなる食品です。

麹菌と寝起きして培養法を確立した玄米酵素の生みの親

麹菌と寝起きして培養法を確立した玄米酵素の生みの親

万成食品の創業は1954年(昭和29年)。当時は萬成理薬株式会社という社名でした。萬成理薬ができたのは現会長である奥脇好男さんが30歳のときです。
会社設立の十数年前から実兄であり、玄米酵素の発案者である奥脇雅澄氏と医療博士の篠田義市さんとによって研究が始まり、培養実験を経て、当時の東村山町久米川で米ぬか製品として製造を開始しました。これが現在の玄米酵素の出発点となります。
玄米酵素の研究・開発に取り組んだ奥脇好男さんの兄・奥脇雅澄氏は、戦前から軍馬の止血剤や消毒剤などの開発・製造とおこない、1944年(昭和19年)には、当時の技術院より報奨状を受けています。

麹菌と寝起きして培養法を確立した玄米酵素の生みの親│イメージ

昭和19年技術院より受けた報奨状

昭和19年技術院より受けた報奨状
「報奨状 疲労回復強壮 奥脇雅澄」

報奨状

昭和15年にはビタテツキンで米糠と胚芽を「コロイドイオン」で処理して、医薬品として認可を受けて発売を始めるとともに、昭和18年11月29日に技術院に論文を提出し、昭和19年3月16日技術院より報奨状を受賞しました。

玄米酵素の誕生秘話

「玄米酵素の誕生秘話」

玄米酵素の発案者である奥脇雅澄と医療博士の篠田義市の出会い
篠田博士が院長を勤めていた篠田病院は結核治療で知られ、大勢の結核患者が入院していました。当時の結核は不治の病といわれていて治療は現在ほど楽でなく、治療中は栄養を補給して体力をつけなければなりませんでした。そこで、篠田博士は、米ぬかの栄養素とそれをさらに高めた栄養食品として玄米酵素に着目します。しかし、たんぱく質や脂質を含む米ぬかは腐りやすい欠点があり、そこで考えられたのが、微生物(麹菌)を利用して発酵させることで腐敗を防ぎ、保存性をよくしたうえに、より栄養価の高い食品、医療品としようということでした。
奥脇雅澄氏は戦争中に軍医学校で衛生兵をしており、そこで細菌の培養に携わっていたことから、米ぬかに麹菌を培養して玄米酵素をつくる仕事を担当することになり、こうして、米ぬかに麹菌を培養し、酵素を生成する実験が始まりました。
しかし、なにせ微生物が相手ですので、なかなかうまくいかず、麹菌とともに寝起きして試行錯誤を繰り返した結果、実験開始(昭和25年)からおよそ3年の歳月がかかり生まれたのが、現在の玄米酵素製造方法になります。
こうしてできた玄米酵素に、篠田博士は「神原菌」(G・A・M)と名づけました。これが 1954年に日本で最初の玄米酵素として開発された「神原菌」になります。
現在も原料や製造方法は発売当時とまったく変わりません。これまで、万成食品以外のいくつかの会社で玄米酵素が製造・発売されたり、米ぬかの他にもさまざまな原料を加えた玄米酵素がつくられていますが、この「神原菌」こそが玄米酵素のルーツです。
そして病気や体の不調に悩む人々のために玄米酵素を世に広めようと、篠田博士、日本大学の浅原六郎教授(童謡てるてる坊主作詞者)、奥脇雅澄氏、奥脇好男さんらによって萬成理薬株式会社が設立されたのです。 玄米酵素(神原菌)は、食欲不振や慢性便秘、下痢、ビタミン欠乏、高血圧などに効果があると重宝されてきました。1973年(昭和48年)に萬成理薬は万成食品となり、玄米酵素は健康食品として広く販売されるようになりました。